吉野鶏めしとは?

大分県南部、現在の大分市吉野地区で、江戸時代末期に作られるようになったと言われています。

大分市吉野地区の起こり

文禄3年(1594年)、石田三成の妹婿・福原直高が臼杵城主(大分県臼杵市)となります。慶長6年(1601年)に関が原の合戦の勲功を受けた稲葉貞通が、臼杵城に入り、初代臼杵藩主となります。この時点で「吉野組」が臼杵藩に編入されました。「吉野組」から「吉野郷」(3つの村組)が確立されたのが、元禄15(1702年)5代将軍徳川綱吉のころとされています。明治に入り22年「吉野郷」から「吉野村」となり、昭和29年の大南町を経て昭和38年に大分市に合併され現在に至っています。

「とりめし」の起こり

江戸時代の末期ごろ、吉野地区の猟師が、雉や鳩などの鳥肉を使い作ったとされています。

昔の「とりめし」の味は?

地区での共同農作業での打ち上げ等で皆が集まる時に、各家々から持ち寄った料理の一品で、自家製の醤油で作ったもので味が濃く、鶏の油で口の周りも黒くなる程でした。